私にとって神戸は、ただの故郷ではありません。それは、私の細胞の一つひとつに染み込んだ、潮の香りと坂道の記憶そのものです。幼い頃、父の大きな手に引かれて歩いた元町商店街の賑わい。学生時代、友人たちと語り明かしたハーバーランドのきらめく夜景。そして、初めて彼とデートした、北野異人館の石畳。私の人生の全てのページには、いつも神戸の風景がありました。だから、彼からプロポーズを受け、結婚の形を考え始めた時、私の心はもう決まっていたのです。豪華な結婚式よりも、私が愛するこの街の様々な表情の中で、夫婦としての第一歩を刻みたい。私のフォトウェディングは、新しい人生への出発であると同時に、これまで私を育ててくれたこの街への、感謝を伝えるための「帰郷」でもあったのです。 撮影当日、私が最初に身に纏ったのは、母が結婚式で着たという、少し古風なデザインのウェディングドレスでした。母もまた、神戸の教会で父と愛を誓った、生粋の神戸っ子。そのドレスを着て、最初に降り立ったのは、私たち夫婦が初めてのデートで訪れた、北野の風見鶏の館の前でした。少し照れくさそうにタキシードを着こなす彼の隣で、あの頃と同じように胸をときめかせている自分がいました。「ここで初めて会った時、まさかこうしてウェディングドレスで隣に立つことになるなんて、思ってもみなかったね」。彼がそう言って笑うと、あの頃の淡い記憶と、今の確かな幸福感が交差して、胸がいっぱいになりました。観光客の方々から「おめでとう」と声をかけられるたび、まるで街全体が旧知の友人のように、私たちの門出を祝ってくれているように感じました。 午後は、少し足を延ばして、須磨の海岸へと向かいました。ここは、私が高校生の頃、部活の仲間たちと何度も訪れた、青春の思い出が詰まった場所です。砂浜を裸足で歩きながら、彼に昔の話をたくさんしました。打ち明けたことのなかった初恋の話、友人たちと見た花火の美しさ、そして、将来への漠然とした不安と希望。私の過去の全てを、彼は「君の歴史を知ることができて嬉しいよ」と、優しい眼差しで受け止めてくれました。寄せては返す波の音が、まるで私の拙い思い出話に相槌をうってくれているかのよう。夕暮れの光が海面をオレンジ色に染める中、私たちはただ黙って、水平線の彼方を眺めていました。過去と、現在と、そしてこれから二人で創っていく未来が、その穏やかな景色の中に、静かに溶け合っていくような、不思議な時間でした。 そして、日の落ちた後、私たちは再び街の中心地、ハーバーランドへと戻ってきました。ライトアップされたポートタワーや、夜空を彩る観覧車。このきらびやかな夜景は、私が嬉しい時も、悲しい時も、いつも変わらずにそこにあって、私を励ましてくれました。そんな思い出深い夜景を背景に、今、人生で最も愛する人と寄り添っている。その事実に、改めて感謝の気持ちが込み上げてきました。撮影の最後に、カメラマンさんが「何か、神戸の街に伝えたいことはありますか?」と尋ねました。私は、きらめく夜景に向かって、心の中でそっと呟きました。「今までありがとう。そして、これからも、私たち夫婦を、ここでずっと見守っていてください」。 私のフォトウェディングは、ただ美しい写真を撮るためのものではありませんでした。それは、私の半生を彩ってくれた神戸の様々な場所を、今度は彼と共に巡り、私の「過去」を彼の「未来」へと繋いでいくための、大切な儀式だったのです。アルバムに収められた一枚一枚の写真は、単なる風景写真ではありません。その全てが、私の愛する故郷の記憶と、彼への愛が交差する、かけがえのない物語の証です。これから先、私たちはこの街で新しい家庭を築いていきます。そしていつか、私たちの子どもにこのアルバムを見せながら、語ってあげるのです。ママとパパの愛が、この素晴らしい神戸の街で、永遠の形になった日のことを。

麻痺してしまった左手の懸命なリハビリ

葬儀社社長の懸命なコンサルティング
30歳の12月脳出血を発症したときまで健康だった芦屋市で内科医をしていた私の左半身の機能は、完全に麻痺してしまい、12年が経過した現在でもほぼ機能しないままです。そんな動かない左手足のリハビリに今でも懸命に取り組んでいる私が、少しでも健康な身体に近づくため特に重要視しているのは左手のリハビリです。そこで私が入浴中に必ず行っている左手のリハビリについて紹介します。脳出血を発症した当時、私の左手足は完全に麻痺していました。自宅にもう使用することが出来ないブラウン管の大型テレビがあり不用品回収の業者に出したことがあります。これは、元々は映画を見るように購入したブラウン管になるのですが、すでに故障しており、薄型の大型液晶が安くなった今、修理する価値が無いためほったらかしにしていたものです。しかし、ほったらかし状態にしていると大きさも大きいので家の倉庫を圧迫するため、回収業者の方に来て頂いたということです。回収自体はスムーズに進み壊れているテレビの身を引き取ってもらいことなくを得ました。何でも大型の液晶は今だ、需要があるらしく外国に持って行くから何とでもなるらしく修理して使うとのことです。私がこのブラウン管テレビを購入したのはまだ、テレビが地デジにならない時に購入したものなので当時はかなり値段が張りましたが現在ではまったくの無価値なものでどうしようもないテレビでした。地デジチューナーを後から付けることはできますが、壊れている点とちょうどこのテレビが壊れた時期に液晶テレビが爆発的に安くなり、地デジが始まるということもあり、不用品として回収してもらったということです。多分ですが、アナログ放送のままだったら修理して使用していたと思います。いずれにしろ、自分一人では持ち運ぶことが出来ない40型のブラウン管なので親戚に手伝ってもらい倉庫に入れましたが、処分に困っていたところ、回収サービスなる物があるということで頼んだということです。しかし、左半身は麻痺していても神経が通っていること、リハビリ次第で少し動くようになるかもしれないことを担当医師に言われました。そこで気温や湿度が高く指のリハビリをするにはもってこいの入浴中に、浴槽の中で左手の指をひたすら伸ばし続けるリハビリを始めました。 左手の指を伸ばすリハビリを続けたおかげで、私の左手の指が、ほんの少しながら動くようになってきました。しかし、健康だったときの身体に少しでも近づきたい私は、この程度で満足しておらず、これからも左手足のリハビリを続けていきます。 そしていつの日か人並みに回復する日を夢見ながら頑張っていきます。